耕作放棄地 大開拓PJ

2024年11月から変人プロジェクトがスタートしました(笑)
1.5ha(約4500坪)の段々畑の耕作放棄地(30年以上放置)を新たな畑に蘇らせるという、壮大なプロジェクトです。
プロジェクトと言えば聞こえは良いですが、半分いや9割方父親からの強制労働です(笑)
長い闘いの為、長い文章になりますがお付き合いください(笑)
30年以上放置された畑は、細い竹と雑木が所狭しと生えていて人が入っていくことができないほど荒れた土地でした。
そこをチェーンソーと草刈り機で切りながら少しずつ進んでいきましたが、1日に進めた距離は10m~20mです。
切った木もその場に捨てておくわけにはいかないので、まとめて畑の外に運ばなければなりません。
平らな畑なら重機を入れて作業できるのですが、段々畑では重機が入っていけないところがほとんどで、ほぼ人力でした。
途方もない作業でしたが、多くの人の協力と尋常ではない我慢のもと、3月にようやく畑にするまでに至り、苗木を植えることができました!来年本格的に1700本の苗木を植えます!
順調にいけば5年後にはみかんが収穫できます。
なぜ父親が気狂いのようにわざわざ段々畑の耕作放棄地の開墾を始めたのか。
最初私には理解できませんでした。
今農家は高齢化し、耕作放棄地が非常に多くなっている話はよく耳にすると思います。
耕作放棄された土地は害獣や害虫、病原菌の巣になり多くの悪影響を周りに及ぼします。
近年少しずつみかんの価格も安定してきているので、放棄して間もない平らな畑であればすぐに再生でき、効率的に作業ができるので借りたい人もいます。実際私達も借りています。
しかし反対に数十年放置された傾斜地の畑は、作業性も悪く、再生させるのも労力が必要な為、誰も借りたくないし、地主も借りて欲しいと言えないのが現状です。
私は当初この畑を開拓するのに断固反対していました。うっそうと茂る雑木を前に『これは無理だよ』と諦めに近い感情があり、できたとしても害獣との闘いが目に見えているからです。
しかし開墾し終えた今では父親の気持ちもほんの少しだけ分かる気もします。
そこには2つの理由があると思っています。
1つ目は『みかん農家のロマン』です!!
今回開拓した畑は西向きで日当たりがよく、昔から良質なみかんが採れると言われている場所でした。
昔の人の言葉に『品種と土地に勝る栽培方法はない』というものがあります。栽培技術が進歩してきた現在でも、露地栽培が基本な柑橘ではその言葉はあながち間違いではないと思います。昔から伝わる良質な土地に最新の品種を植えて、果たしてどれだけ良い品質のみかんができるのか、このみかん農家としてのロマンは私も分かります。
そんな土地が害獣の住処になり、他の畑にも悪影響を及ぼしているというのがもったいなかったのだと思います。
2つ目はカッコよく言えば『農家のスピリット』だと思います。
今の農業はより効率的で無駄を省きながら良いものを作ることに注目されています。もちろん青木農園もそういったスマート農業と言われる技術を取り入れながらより良い栽培を目指しています。
その一方で私達の先祖は何もない原生林を開拓していくところから始まりました。大木を切り、その根を土から取り除き、土から出た石を積み上げて石垣にして少しずつ畑に変えていったのです。
車もない時代ですからもちろん全て手作業です。どんなに非効率でも、それをしなければみかんの栽培ができなかったわけです。
私たちが今農業ができているのはそういった過去の基盤があるからです。
実際に開墾を話で聞くのと自分で体験するのとでは全く違いました。自分達で開拓した畑には愛着が湧くし大切にしたいと思います。そして過去の人たちの苦労が本当に身に染みて分かりました。
やる前は『これをやるのかよ…無理だ』と絶望していたものが、畑に変わっていく姿を見れたのは自信にもなりました。
いろんなものが進歩してきている中でも、忘れてはいけないもの、変えてはいけない部分が今回感じた『農家としてのスピリット』ではなかいかと思いました。
果たして自分の代になって今回と同じような大開拓をやろうと思えるかどうかは分かりません。いや、今の時点ではやりたくない…(笑)
でも農家としての『ロマンやスピリット』が少し私に伝わったということは、方法がどうであれ良かったのではないかと思います。
今、米農家でも言われているように、これからの農業はやれる人に集約してくると思います。
そんな中で、大きくなりつつも『農家としての青木農園』をいいなと、お客様や農業を志す若い世代に思ってもらえるように取り組んでいきたいと思います。
最後に父親ばかりでは不公平なので母親がいう言葉も肝に銘じて置かねばと思いここに書いておきます(笑)
『男のロマンは女の不満』
長文にお付き合いいただきましてありがとうございました!