2024 ⁄ 09 ⁄ 07

祖母が作った加工品たち

お盆という時期もあり、少し青木農園の前の世代のことを書いてみたいと思います。
少々お付き合いください🙇

青木農園では様々な加工品を製造、販売していますが、その多くは私の祖母の節子が作ったものです。

「100年樹夏みかんマーマレード」も祖母がレシピを考え、商品として販売してきたものが始まりです。今ではパッケージや砂糖の使用量を変更して販売をしていますが、祖母のオリジナルは写真のパッケージで今も販売しています。

「きゃらぶき」も自分達で食べる用に作ったのが始まりで、40年以上経った今でも多くの方に愛用していただいております。

実はコンポートも祖母が昔作っていたレシピを参考しています。

祖母はちょうど10年前の8月に他界しましたが、作った商品たちは今でも多くの方に愛され、後世を生きる私達の生活を支える商品として受け継がれています。

人には0からものを作り出すアイデアがある人と、1のものをさらに広げ、大きくしていくのが得意な人がいると思いますが、祖母は前者のアイデアマンでした。

自分の手元にある素材で、ものを作り出す発想と研究熱心さがあったのだと思います。それに加えパッケージの絵も祖母が描いていたので、そういった絵心も持ち合わせていました。


祖母が嫁に来る前の青木農園の人間はがむしゃらにみかんを増やしてきました。1を10や100にするのが得意な人種でした。猪突猛進型ですね(笑)

しかし、昭和50年代みかんの価格が安くなり、赤字経営で困っていた青木農園を支えたのが祖母のアイデアである加工品でした。

今では六次産業化と言われて多くの農家が取り組んでいますが、その当時農家が自ら加工品を製造するというのは珍しかったと聞きます。

当時みかんの価格は市場の相場で決まってしまいましたが、加工品は自分達が価格を付けて販売できるため、経営を支えることができたそうです。

今までの青木農園にはなかった感性の持ち主でした。

その時代に合わせて、新しい発想と柔軟な考え方で対応していかなくてはいけないということを、祖母が実践してきたことから教えてもらったような気がします。

自分にそのようなアイデア力があるとは現段階では思えませんが、近づけるように努力していきたいと思います(笑)

そんな先人達のお陰で私たちがあるということを肝に銘じるとともに、子供の頃悪いことをして、リアルに祖母に尻を叩かれ泣いたことも一緒に思い返したお盆でした(笑)


また猛烈な暑さが戻ってきましたが、皆様も体調など崩されないようにお過ごしください!

私たちも引き続き摘果を頑張ります!!